2020 旭硝子財団 助成研究発表会 要旨集
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自自動動車車産産業業のの展展開開とと都都市市計計画画 ::トトヨヨタタ町町・・ススババルル町町・・ダダイイハハツツ町町のの企企業業城城下下町町形形成成史史 大阪市立大学大学院生活科学研究科 教授 中野 茂夫 1. 研究の目的と背景 自動車産業は,わが国の高度経済成長期の原動力といっても過言ではない企業であり,本研究で取り上げる豊田・太田・池田では,トヨタ町,スバル町,ダイハツ町という企業の名を冠した町が存在するように,文字通り企業城下町を形成した.ところが総合産業といわれる自動車産業の企業城下町については,巨大な規模で工業開発が行われたため全体像が読み取りにくいことや工業化の原点となった戦時期から高度経済成長前まで都市計画に関する公文書が限られていることから,都市計画史の観点から通史的に検証した研究は意外に少ない. 先行研究として,まず自動車産業の都市計画にも言及した堀田典裕の研究が挙げられる.自動車産業の工業開発について類型化し,主要な企業城下町の都市計画についても取り上げられている.しかしながら法定都市計画の策定経緯や具体的な事業の内容など,詳細な都市計画の内容については十分な分析が行われていない.また自動車産業については,経済史・経営史・政治史などさまざまな分野で研究が行われており,企業誘致や工場建設などの工業開発については市史等も含めて一通り明らかにされているが,そうした工業開発と対応しつつ産業基盤を構築した都市計画の具体的な内容についてふみこんだ研究はほとんどない. そこで本研究では,自動車産業の企業城下町の事例として,それぞれ規模の異なる豊田・太田・池田を取り上げて,戦時下から高度経済成長期までの工業開発と都市計画史について検証するものである.各都市で史料の残存状況等が異なるため,それぞれの特徴にあわせて空間形成史の分析を行っているが,都市基盤を構築した法定都市計画の軌跡については共通して分析しており,その観点からの比較検討が可能になると考えられる. 2.研究内容 本研究では,規模の異なる池田,太田,豊田の企業城下町を取り上げ,工業開発と都市計画の経緯について明らかにしてきた. 最も規模の小さいダイハツの企業城下町・池田は,明治末期から大阪の郊外住宅地として鉄道会社や土地会社によって沿線開発が行われており,法定都市計画は後追い的に策定された.ダイハツ工業の池田工場と池田第二工場が立地したことにと 図図11 ダダイイハハツツのの工工場場立立地地とと幹幹線線道道路路 図図22 太太田田のの新新興興工工業業都都市市計計画画とと工工場場・・社社宅宅のの立立地地 もない,相互に連絡する産業道路は整備されたものの,都市全体を産業基盤として整備されることはなかった.各工場では,大阪近郊の労務者を雇用することを想定していたが,中産階級層の郊外住宅地になっていたため,この目論見は外れ,大人数を収容できる寮を工場付近に建設することになった. ついで規模の大きいスバルの企業城下町・太田では,スバルの前身である旧中島飛行機株式会社の工場が立地しており,耕−158−発表番号 77 〔中間発表〕

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