2020 旭硝子財団 助成研究発表会 要旨集
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地整理によって労働者住宅地が造成されていた.戦時下には,新興工業都市計画が策定されており,放射環状の壮大な街路網や用途地域が計画されていた.旧中島飛行機の工場は,市内三カ所に点在するように配置されており,そこに隣接して社宅街が造成された.そして,これらを相互につなぐよう新興工業都市計画が策定されていたのである.また公園計画では,防火線としてグリーンベルトも検討されたというが詳細は明らかではない. 太田の新興工業都市計画は土地区画整理が縮小し,ほとんど実現しなかったが,基本的には当初計画の枠組みのなかでスバルは事業を展開していたことが明らかとなった.旧中島飛行機の社宅街は,企業の再編にともない居住者に払い下げられており, 住宅地ごとに敷地の分割や統合といった推移が経年的に進められており,それぞれの特性にあわせた内在的な変質がみられた. 最大規模を誇るトヨタの企業城下町・豊田でも,新興工業都市計画が計画されていたが,当初計画は中央にロータリーを設けた住宅地の造成を目的としたものに過ぎなかった.しかし戦後の高度経済成長にともない,都市計画の枠組みをはるかに凌駕する工業化が展開された. まず戦後に都市計画基礎調査が実施されており,それにもとづいて駅前の放射環状街路の整備とそこからトヨタの本社工場までの都市建設が計画された.駅前の旧市街と本社工場の間の地区は準工業地域として工業化を促進しつつ,二つの拠点を結ぶ狙いがあった. しかしそれでもトヨタの躍進はさらに大規模に展開され,工場団地の造成も含めて大規模な工場進出が展開された.とりわけ本社工場から戦前の土地区画整理地区,鉄工団地,元町工場とつづく市域南部の環状の工業地帯が造成されており,それらを連動させるように法定都市計画も計画され,都市全体を環状に連携させる街路網が計画された.そして郊外の工業地帯と旧来の挙母の市街地との間には,緩衝緑地帯となるパークシステムが構築されたのである.造園系都市計画の大家である佐藤昌が計画したパークシステムは国内でも屈指のスケールの計画だったと位置づけられる.また住居専用地区が住区を構築するように配置されており,近隣住区論にもとづく住環境の整備が行われた点でも特徴的である. さらにトヨタの工場進出は郊外に展開され,周辺市町村を合併しながら豊田市も拡張していった.法定都市計画も後追いてきに変更されたが、1966年にはマスタープランとなる「豊田地域総合計画」が策定され,この土地利用計画にもとづいて都市計画も策定されるようになった. 図図33 豊豊田田のの都都市市計計画画とと工工場場立立地地 3. 今後の展開 本研究では,国内の自動車産業の典型例について工業開発と都市計画の実態について検証した.自動車の製造プロセス自体は,合理化されたものであり,生産システムそのものは国際的に共通している可能性が高い.一方で都市計画については,地形や暮らし,制度などが異なることから当然地域性の制約を受けることになる.したがって今後は,世界の自動車産業の企業城下町との国際比較を行い,産業の合理化に対応した産業基盤整備と都市計画の「共通性」と「地域性」について検証することが課題である. 4. 参考文献 沼尻晃伸『工場立地と都市計画』(東京大学出版会、2002). 中野茂夫『企業城下町の都市計画』(筑波大学出版会、2009). 社宅研究会編『社宅街〜企業が育んだ住宅地〜』(学芸出版社、2009). 堀田典裕『「モータウン」のデザイン』(名古屋大学出版会,2018). 5. 連絡先 大阪市住吉区杉本3-3-138 nakano@osaka-cu.ac.jp −159−

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