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〜旭硝子財団 地球環境マガジン〜

美しい海を未来のために残したい。多様な立場の人々とつながり、海洋生物を守る

  • 助成期間:2017年4月~現在助成継続中
  • 採択テーマ:開発の危機に晒される相模湾沿岸域に生息する動植物の生物目録作成

地球上における最初の命が生まれたとされる海。毎年、夏になると、多くの人々が潮干狩りやスキューバーダイビングを通じて、海の生き物とのふれあいを楽しみます。しかし、近年、沿岸地域で進む開発や海洋汚染などによって、海洋生物は減少の危機にさらされるように。東京経済大学の大久保奈弥准教授は、多様な海の生き物を守るために、海洋生物学者を始め、生物調査のプロ、地域住民など、さまざまな立場の方々の協力を得て、海岸での地道な調査を続けています。海洋保全活動の意義や、文系の出身ながら生物学を学ぶことになった転機、研究者としての信念について教えていただきました。

鎌倉など相模湾沿岸での生物調査に尽力。海に関わる人々が多い場所だからこそ、環境保全の観点からも意味がある

鎌倉市材木座、和賀江島。崩れた石が生物の宝庫となっている
鎌倉市材木座、和賀江島。崩れた石が生物の宝庫となっている

神奈川県逗子小坪海岸。「逗子マリーナ」という複合施設で有名なこの地は、2020年東京オリンピック・パラリンピックで、セーリング競技が開催されることが決まっていた場所です。大久保准教授は、2016年に小坪海岸の生物調査を海の生き物を守る会や自然保護協会と合同で行い、生き物パンフレットの制作や要望書の提出など、環境保全活動に取り組みました。今回、旭硝子財団の研究助成を受け、小坪海岸の隣にある和賀江島(わかえじま)を含む鎌倉市材木座海岸と横須賀市和田長浜での生物調査を行ない、生物目録データベースの作成に取り組んでいます。

和賀江島は、現存する日本最古の築港遺跡で、国の史跡としても指定されており、鎌倉時代に積まれ、現在は崩れて河原のように広がっている石は、干潮時にのみ、その姿を現します。

「その特殊な環境から、和賀江島は生物の宝庫となっています。沿岸開発が始まれば、工事による堆積物の流入や防波堤の設置による海流の変化によって、生態系に大きな影響があることは想像にたやすいことでした。開発が行われる前に、さまざまな海洋生物の生息状況を調査して目録を完成させ、海の変遷や人間が生態系に与える影響をデータから分析できる状況をつくらなければいけないと考えました」と、大久保准教授は調査に至った背景を振り返ります。

観察会を含む調査活動は、日中に大潮となる春の干潮時にしか実施できません。2020年の調査は新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて中止したため、研究期間は来年度まで持ち越されましたが、和賀江島周辺での調査はほぼ終了しており、現在400種以上の海洋生物を確認することができたといいます。予想していたよりもはるかに多く、珍しい生き物も多数確認することができました。

逗子や鎌倉といった都会から近い海岸を対象とすることは、海洋保全の視点からも大きな意義がある、と語る大久保准教授。

「逗子や鎌倉は、漁師や地域住民に加え、サーファーや観光客など、海に関わる人々が多い場所。都会に近いこれらの海にも、これだけの生き物がいると示すことは、たくさんの人々の環境への意識にはたらきかけるという意味で、大きな影響があることだと思っています」(大久保准教授)

網羅性を重視した調査活動。調査会社のプロから子どもまで、さまざまな人々が生き物を守るために協力する

2018年に行った現地調査の様子
2018年に行った現地調査の様子

調査の過程では、さまざまな領域の専門家に加わってもらったという大久保准教授。専門領域ごとに研究をする生物学の世界では、生物調査をする際にも範囲を区切って行うことが多いとされますが、本調査では、できるだけ生物群を網羅し、マイナーな生き物にもスポットを当てることを心がけたといいます。

「今回の調査では、分類学者以外の協力も数多く得ています。特に、私の先輩にあたる、生物全般を熟知する生物調査会社の方々の存在はとても心強いですね。参加者には、地元の海を守りたいという地域住民、調査目的の観察会は初めてという私の友だち親子など、一般市民の方々もたくさんいます。実は、生物調査をするうえで、子どもが参加してくれることは重要なんです。先入観がないので、どんな生き物でも持ってきてくれる。珍しい生き物を見つけてくるのは、たいてい子どもなんですよ」(大久保准教授)

今回の調査活動にとどまらず、大久保准教授は「海の生き物を守る会」という団体に所属し、長年にわたり生き物観察会に携わってきました。大久保准教授にとって、社会に役立つことが研究のモチベーションだと語ります。

「研究自体は自己満足でもよいと思うのですが、環境保全も視野に入れるとなると、興味のない人にいかに興味をもってもらうかを考えることが大切です。多様な海の生き物を守るためには、その姿勢が大きな鍵になると思っています」(大久保准教授)

ドイツ文学科から理系の大学院へ。人生はいつからでも変えられる

東京経済大学 全学共通教育センター 大久保奈弥准教授
東京経済大学 全学共通教育センター 大久保奈弥准教授

出身は横浜市という大久保准教授ですが、生き物が大好きな子どもだったといいます。原体験となっているのが、祖父母の家があった長野県小川村で過ごした夏休みの記憶。

「昼はマムシが出て、夜はホタルが乱舞するんです。大好きな場所でした」(大久保准教授)

さらに、週末には必ず家族でハイキングに行くような、両親による情操教育の影響もあり、高校生になると、ゴルフ場の建設によって生き物のすみかを奪うのは人間の身勝手と断じた新聞投書をしたことも。人間よりも生き物の立場に立ちたいという、現在の感性が育まれていきました。

しかし、皆で一斉に大学受験のために勉強するという雰囲気をどうしても受け入れられなかった大久保准教授は、当時としては珍しく語学と論文のみで受験できた立教大学の文学部B試験に通り、ドイツ文学科へ。「受験勉強を一斉に行うのは反対、という論文を書いて合格しました。採点してくれた先生方に本当に感謝しています」と笑います。そして、大学3年生のとき、一般教養の科目として受けた生態学の授業がとても面白く、生物学を学びたいと考えるように。その教授(編集部注:日本生態学会元会長の松田裕之氏)の勧めもあって理転を決意し、猛勉強を経て東京水産大学(現東京海洋大学)大学院へ。生物学の研究者としての人生を歩み始めました。

「高校生のときの私は、将来こんな人生を歩むとは想像もしていませんでした。もし何か道に迷っている人がいたら、人生は何歳からでも、いつからでも変えられるから大丈夫と伝えたいですね」(大久保准教授)

研究者こそ多様性が必要。自分の価値観と信念に従って人生を送りたい

和賀江島で観察されたミスガイとヨコエビ
和賀江島で観察されたミスガイとヨコエビ

研究者になってからは、サンゴの研究を専門としていた大久保准教授。生物のなかでも特に熱帯魚が好きだったことから、そのすみかを形成するサンゴの研究をすることに。サンゴの移植研究と並行して、15年かけてさまざまなサンゴが発生する過程を調べ、胚に穴の空くグループと空かないグループがあることを発見し、2017年にふたつの新しい亜目(目と科の間に置かれる区分)を提唱。サンゴの分類学に大きく貢献し、日本動物学会の選考するZoological Science Award、藤井賞を受賞しました。また、「サンゴの移植でサンゴ礁生態系を再生することはできない」と海洋生物学者の立場から明言し、『世界』(岩波書店)にも寄稿。沖縄県の辺野古・大浦湾の埋め立て工事に関わるサンゴ移植の問題でも積極的に発言しています。

「海を守る活動を続けてきたなかで、環境保全は社会活動なんだということを実感しています。研究だけをしていても、実際に生き物を守ることはできません。開発は人が行なっていることですから」と、大久保准教授。

行政や企業と対立することもある保全活動は、エネルギーも時間も必要で、避けようとする研究者も多いのが実情です。しかし大久保准教授は、自分のスタイルは「保全などの社会活動4割、理学研究3割、プライベート3割」と語ります。

「私の夫も研究者です(編集部注:慶應義塾大学で環境経済学を教える大沼あゆみ氏)。私は、尊敬する夫が言ってくれた"研究者こそ多様であるべき"という言葉を大切にしています。自分が好きで価値があると思う研究をして論文を書けばいい。英語論文の学術雑誌掲載による影響の度合いや引用数といった評価にとらわれる必要はない。行政の方が読める日本語の論文は、地域の環境保全に役立ちます。私は、研究員として赴いたオーストラリアから日本へ戻ってきた後は、学生に一般教養科目としての生物学を教えながら、自分の研究を続けるスタイル。文系理系問わずさまざまな分野の素晴らしい同僚から刺激を受けているので、心が豊かになり、私らしく生きられています。プライベートもとても大切にしていますね。他人と比べず、人からの評価も気にせず、自分の幸せを突き詰めればいい。同時に、自分の周りの『世間』だけではなく『社会』のことも考えれば、環境問題を含めた世の中の課題を解決する方向に変えていけるのではないでしょうか」(大久保准教授)

「苦しみや悲しみは自分を磨いてくれる。小さな幸せを見つけるのも得意。だから、いつも120%くらい幸せなんです」と笑顔で語る大久保准教授。多様性の一角を担うその姿は、次世代の研究者として、ひとつのあり方を示しています。

Profile

大久保 奈弥(おおくぼ なみ)
東京経済大学 全学共通教育センター 准教授

立教大学文学部ドイツ文学科を卒業後、東京水産大学(現東京海洋大学)大学院資源育成学専攻へ。東京工業大学大学院生命理工学研究科で博士号を取得後、日本学術振興会特別研究員(京都大学・オーストラリア国立大学)、慶應義塾大学特任助教を経て、2015年から現職。2020年度はサバティカルで東海国立大学機構名古屋大学大学院理学研究科客員准教授を兼任。サンゴを中心とした海洋生物の基礎生物学的研究と沿岸環境の保全活動を行う。一般社団法人日本生態学会自然保護専門委員会副委員長、海の生き物を守る会運営委員。

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