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〜旭硝子財団 地球環境マガジン〜

都市と農村のあわいにある「低密度なまち」という、新しい選択肢

人口密度1000〜2000人の「まち」には、都市とも農村とも異なる価値があるのではないかーー鹿児島県肝付町での経験から「低密度なまち」の研究を始めた小南弘季先生。先行研究のないところから全国50カ所でのフィールドワークを経て、概念の定義、独自の評価軸を練り上げ、語られることのなかった場所を語る挑戦に取り組んできました。見えてきた低密度社会の可能性、そしてこれからの豊かさについて、お話を伺いました。

「都市でも、農村でもない」鹿児島県肝付町との出会いが研究の原点に

東京大学・小南弘季先生
東京大学生産技術研究所博士研究員・小南弘季先生

「都市ではなく、農村でもない。漁村・山村・都市の間にあるような、鹿児島県肝付(きもつき)町で仕事をしたことが、低密度社会の研究を始める直接的なきっかけになりました」

そう語るのは、東京大学生産技術研究所川添研究室、博士研究員の小南弘季先生です。学部入学時は、建築家になることを志望していたという小南先生ですが、学部時代に受けた講義をきっかけに、都市史の面白さを知ることになります。建築家としての道も検討したものの、最終的には大学院博士課程に進み、都市史を学びました。学位取得後、東京大学生産技術研究所川添研究室に助教として勤務することになりました。

建築形態や空間理論の構築、設計を実践するこの研究室で、先生が最初の仕事として携わったのが、鹿児島県の肝付町新富(にいとみ)地区におけるまちなか再生事業でした。

「私自身、まちづくりに関わるのは初めての経験。先行研究を調べていくと、都市・地方都市でのセオリー、人口規模の小さな集落でのセオリーを学ぶことができました。ただ、肝付町というのは、地方都市とも集落ともいえない人口規模※のまち。こうした"低密度なまち"についての研究は、未だほとんどされていないということがわかったんです」

先行研究や理論が見つからないなか、先生は試行錯誤しながら有効な手段を探し続けました。しかし、2年間の事業を終えて抱いたのは「こうした低密度なまちを捉えるための、普遍的な視座が必要だ」という思いでした。

「近年、日本では、コンパクトシティについての研究や政策が発展してきましたが、周辺の低密度地域についての理解は不足しています。本来、コンパクトシティと周辺地域の間に構築すべき"ネットワーク"についての検討も進んでいません。新富地区に通ううち、この地域は、働き口のある地方都市と、第一次産業を担う漁村や山村、双方にアクセスしやすい場所だということにも気づいてきました。まちが、地方都市と農村・漁村を中継する。そんな全体的な広域での地方社会の在り方を考えたいと思いました」(小南先生)

※ 鹿児島県肝付町の人口は13027人(2026年9月末時点)、新富地区の人口は、平成22年のデータで約3800人
https://kimotsuki-town.jp/index.html
https://kimotsuki-town.jp/material/files/group/12/03_gennjou.pdf

研究の始まりは低密度なまちの定義から。多様な調査地50カ所を選定

調査地50カ所の航空写真
調査地50カ所の航空写真。「50カ所調査できたのは研究助成のおかげ。必要な数でしたが、調査も分析も量が多く現在も苦労しています」(小南先生)

先行研究がほぼ存在しないなか、小南先生は、研究の軸をつくるためにも、より多くの参照点を見ることが必要だと考えました。調査地を決めるための第一段階として取り組んだのが「低密度なまちを定義すること」でした。

自治体ごとの人口密度では、例えば山林面積が広く居住エリアが狭い町の場合、その値は実際の居住実感に比べて大きく低下します。一方、人口集中地区の区域を分けて人口密度を測る手法もありますが、この手法では近くにある自然環境への目線が抜けてしまいます。

「例えば、学校まで登校する道で、向こうに山が見えて、橋を渡って川を越えて、空き地がある......そういった住居とは異なるエリアも含めて"町の風景"は存在している。そんな風景を含んだ人口密度を考えたいと思ったんです」と小南先生。採用したのは「標準地域メッシュ(第 3 次地域区画)」、日本の国土を1キロメートル四方で区切り、その中で人口密度を見ていく手法です。

先生は、コミュニティを維持可能な上限の人口は1000人であるとする研究※1、都市と非都市の境は2000人であるとするメガシティ論※2に依拠し「メッシュあたりの人口密度が1000〜2000人」「2000人以上のメッシュと隣接しない」場所を「低密度なまち」と定義、調査地の候補としました。該当地域数は約1700カ所。調査地の数は、全国47都道府県満遍なく見ることを考え50カ所に定めました。地形・地理的特徴から狙いを定め、産業・歴史的成立経緯を調べた上で、独自性があり、多様であることを重視して選定していきました。

※1 明治大学工学部建築学科 神代研究室編『日本のコミュニティ その1 コミュニティとその結合(SD 別冊No.7)』(鹿島出版会,1975 年)
※2 村松 伸,加藤浩徳著,森宏一郎編『メガシティ 1 メガシティとサステイナビリティ』(東京大学出版会,2016年)

「身体性・寓喩性・参与可能性」、低密度なまちを視る3つの評価軸

大分県竹田市竹田(たけた)にて撮影
「身体性」。どこにいても目に入る岩壁が、人々に「囲まれている」という感覚を与え、安心感にもつながっている。大分県竹田市竹田(たけた)にて撮影

さらに、小南先生が苦労したのは、低密度なまちを測るものさしをどうするか、ということでした。フィールドワークをしながら先生が練り上げたのは「身体性・寓喩性・参与可能性」という3つの評価軸でした。

「今回の調査地は、伝統的な社会関係・空間構造が、近代化によって不明瞭になってしまった場所。従来の風景論では語れない場所でした。そこで別の語り口として、身体性によって立体的に評価する、ということを考えました」

例えばここに、山と川と街並みの映る風景写真があったとします。写真からわかるのは、山・川・街がそこにあるという事実です。しかし実際には、山がいつ・どこで・どんなタイミングで見えるのかによって私たちが得る感覚は異なります。住宅街で突然出くわした空き地から見えたり、坂道を登りきって、温泉街で硫黄の匂いが漂う中で......「風景に体験を加えた、マルチモーダルな風景論」を考えたかった、と小南先生は語ります。

北海道厚岸町厚岸(あっけし)にて撮影
「寓喩性」。船など漁業に関する物が空き地に置かれ、暮らしに溶け込む。北海道厚岸町厚岸(あっけし)にて撮影

この「身体性」というアイディアの根底には、地域の評価軸が、象徴性(シンボル)に偏っているのではないかという課題意識がありました。フォトジェニックな光景がどれだけあるか、そんな観光的価値ではないものさしでまちを視るため、先生が用いたのは、象徴性の対になる「寓喩性(ぐうゆせい・アレゴリー)」という概念です。

「断片的で、どうでも良いものがある状態をちゃんと評価したいと思っていました。低密度なまちにおいて、寓喩性は、空地や庭に顕著に現れます。例えばある漁村では空地に船が置いてあり、それが面白い風景になっていた。どのまちでも、機能しないものが自由に置かれていて、それがすごく豊かな風景になっていたんです」

こうした空地の使い方は、3つ目の評価軸である「参与可能性」にも繋がります。住んでいる人が、まちの風景にどう関与でき得るか、というポイントです。いらないものを空地に置くことが街の風景になり、各自が思い思いに作る小さな庭がまちの美しさを形作る。低密度なまちには、そうした参与可能性があると小南先生は指摘します。

北海道滝川市、江部乙(えべおつ)にて撮影
「参与可能性」。家々の前にかわいらしい小さな庭が見られる。北海道滝川市、江部乙(えべおつ)にて撮影

全国50カ所でのフィールドワーク調査は約3年間に及び、記録写真は3万枚以上に上ります。現在、書籍を執筆するためより精緻な分析を進めているそうですが、現段階で言えることとして小南先生は、「低密度なまちは、住まうことにおいて非常に豊かな場所である」という点を挙げました。

「インフラが整備され、敷地に余裕があり、農地もあり、車で30分〜1時間で都市にも自然環境にもアクセスできる。住むには最適な条件が整っており、コンパクトシティ・プラス・ネットワークの概念からも、中継地となることが求められるはずです。低密度なまちが目指すべきは、観光客や関係人口の増加ではなく、シンプルに、住宅地として人を誘致すること。都会の生活に疲れた人、違和感を持っている人の選択肢として、低密度なまちという選択肢は大いにあり得るし、残すべきものであると思います」

低密度社会の拓く未来。これからの豊かさの鍵は「参与可能性」にある

学生たちとフィールドワークを行う小南先生
学生たちとフィールドワークを行う小南先生

小南先生は2026年10月、東京都立大学都市環境学部都市政策科学科への異動が決まっています。先生は、これを契機に、これまで積み上げた都市史学的な視点からの調査研究をどう政策に活かせるか、そのアウトプットを考えたい、と語ってくださいました。

「実際のまちづくりに研究を接続するためには、仲間づくりも非常に大切です。低密度社会というキーワードのもとに、多様な研究者、町の首長などが集い、研究と実践を共有しながら進めていける、そんなネットワーク作りを進めていきたいと考えています」

低密度社会に可能性を感じ、断片的なものが散らばる風景の豊かさを語る小南先生。これからの時代の豊かさについて、持続可能な社会のあり方については、一体どんなことを考えているのでしょうか。

「もはや、欲しいものを欲しいだけ買えるという時代ではありません。高度経済成長期の物質的豊かさそのものが、基本的に他国や労働力の搾取のうえに成り立っていた側面も大きいと思います。公平性が少しずつ高まっている世の中において、豊かさの捉え直しが必要です。

ひとつ、先ほど提示した"参与可能性"は鍵となる概念だと思います。身の回りの環境を知っていること、自分で関係性をつくっていける状態、それが豊かさなのではないかと私は考えています。 イタリアの学者エツィオ・マンズィーニが『日々の政治』※という著作の中で、まさにそんなことを言っています。自分の日常や人生を自分で選択していくことが身近な生活の政治である。自分がどういう関係性を持っているのか、1つずつ考えていくと、自ずと世界と繋がり、自分と繋がった世界の中で考えることが大切だと、彼は言っています」

持続可能な社会をどうしたら作れるか、という実感を持てない大きな問いを離れ、自分自身の持続可能性を高めること。それこそが持続可能な社会であると先生は言います。そうした行動を取る人々は着実に、日本でも増えている、とも。最後に小南先生から、これから地方の課題や環境問題に向き合いたいと考えている若者へ、こんな言葉を贈ってくださいました。

「実際に自分の足で、まだ誰も言葉にしていない場所に足を運んでみてください。今の日本ではバズっているものがバズる、そんな世の中ですけれど、自分が何を考え、どこに立っているのか、人の言葉ではなく自分の言葉で語るということを意識して実行してほしいと思います」

※ 『日々の政治:ソーシャルイノベーションをもたらすデザイン文化』(エツィオ・マンズィーニ著、安西洋之、八重樫文訳、株式会社BNN)

写真提供:小南先生

 

Profile

小南 弘季(こみなみ ひろき)
東京大学 生産技術研究所 博士研究員

兵庫県生まれ。東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了。博士(工学)。2020年より2026年まで東京大学生産技術研究所助教を務め、現職。著書に『東京の神社と氏子域』(鹿島出版会、2026年)、共訳書にハリー・F・マルグレイブ『EXPERIENCE:生命科学が変える建築のデザイン』(鹿島出版会、2024年)。現在は、低密度居住地域の社会空間史研究およびブラジル近代建築の研究に従事。

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