問題:生物多様性の損失

今、自然は急速に損なわれています。生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学-政策プラットフォーム (IPBES)(2024年ブループラネット賞受賞)は、約100万種の動植物が絶滅の危機にあると報告しています。生物多様性が失われる主な原因は、開発、
野生生物の過剰な利用、気候変動、汚染、外来種の増加などです。これらの多くは人間活動によって引き起こされています。
生物多様性の損失は、野生生物だけの問題ではありません。人間の暮らしに必要な食料、水、気候の安定、防災、健康、文化的な豊かさなどは、健全な生態系に支えられています。たとえば、森林は二酸化炭素を吸収し、水源を守り、土砂災害を緩和します。湿地は水を貯え、水質を浄化し、多くの生き物のすみかになります。こうした自然の働きは「生態系サービス」と呼ばれます。
国際社会は、2030年までに生物多様性の損失を止め、回復に向かわせることを重要な目標として掲げています。そのためには、残された自然を守るだけでなく、すでに損なわれた自然を回復させる取り組みも必要です。※1
問題解決に向けた取り組み:再野生化(リワイルディング)
再野生化(リワイルディング)とは、人間活動によって損なわれた自然を、できるだけ自律的に回復できる状態へ近づける取り組みです。単に木を植えたり、特定の生き物を保護したりするだけでなく、森、草原、川、湿地、生き物同士の関係など、生態系全体の働きを取り戻すことを重視します。
リワイルディングで重要なのは、人間が自然を細かく管理し続けるのではなく、自然が本来持っている回復力(レジリエンス)を発揮できるようにすることです。そのために、かつてその地域にいた動物を戻す、分断された生息地をつなぐ、川や湿地の働きを取り戻す、過度な放牧や伐採を見直す、といった方法がとられます。※2
事例1 アメリカ:イエローストーン国立公園※3
アメリカのイエローストーン国立公園では、20世紀前半までに、人間による捕獲や駆除の影響によってオオカミがほとんど姿を消しました。オオカミは、エルクなどの大型草食動物を捕食する、食物連鎖の上位にいる動物です。
オオカミがいなくなった結果、エルクに対する捕食圧が弱まりました。エルクは川沿いのヤナギやヤマナラシなどの若木を食べるため、若い木が十分に育ちにくくなりました。川辺の林が衰えると、鳥や昆虫のすみかが減るだけでなく、ビーバーが巣やダムをつくるための材料も不足します。ビーバーのダムは水をため、湿地をつくるため、多くの生き物の生息環境にも関わります。このように、食物連鎖の上位にいる捕食者がいなくなった影響が、草食動物、植物、川辺の環境、さらに他の生き物へと広がることがあります。このような連鎖的な変化は「栄養カスケード(トロフィックカスケード)」と呼ばれます。
1995年から、イエローストーン国立公園ではオオカミの再導入が行われました。これは、カナダから連れてきたオオカミを公園内に戻すことで、失われていた上位捕食者を生態系に戻し、捕食者、草食動物、植物、川辺の環境などの関係を回復させる取り組みでした。
オオカミの再導入後、エルクの数や行動に変化が生じました。その結果、一部の場所では、川沿いのヤナギやヤマナラシなどの若木が成長しやすくなったと考えられています。植物が回復すると、ビーバーの生息環境や川辺の生態系の回復にもつながる可能性があります。また、オオカミが残した獲物の死骸は、ワシ、クマ、コヨーテなど、腐肉を利用する動物にとっても重要な資源になります。
ただし、イエローストーンの自然回復を「オオカミを戻したから全てが回復した」と単純に説明することはできません。エルクの減少や植物の回復には、オオカミだけでなく、クマやピューマなど他の捕食者、気候、水分条件、狩猟、ビーバーの存在など、さまざまな要因が関係しています。イエローストーンの事例は、リワイルディングの可能性を示すと同時に、生態系の回復が複雑で長期的なプロセスであることを示しています。
事例2 日本:兵庫県豊岡市のコウノトリ野生復帰※4
兵庫県豊岡市周辺では、かつてコウノトリが暮らしていました。コウノトリは、魚、カエル、ドジョウ、昆虫などを食べる大型の鳥です。そのため、コウノトリが生きていくには、餌となる小動物が多い水田、湿地、川の環境が必要です。
しかし、明治期以降の狩猟、戦後の開発による水田や湿地環境の変化、農薬の使用などにより、コウノトリの餌となる魚、カエル、ドジョウ、昆虫などが減少し、コウノトリはすみかと餌場を失っていきました。その結果、1971年、コウノトリは日本の空から姿を消しました(野生絶滅)。
豊岡市では、野生絶滅に先立つ1965年からコウノトリの人工飼育に取り組み始め、飼育開始から25年後の1989年にようやく飼育下での繁殖に成功。2005年に野生復帰に向けて初の放鳥を行いました。また、コウノトリが生きていける環境を取り戻すため、水田や川の環境再生、冬にも水を張る水田、ビオトープづくり、農薬に頼りすぎない農業などを進めました。※4
これらの取り組みにより、コウノトリは再び野外で暮らし、繁殖するようになりました。2007年には43年ぶりに野外でヒナが誕生し、2025年現在、国内の野生のコウノトリは約500羽に増えています。また、コウノトリの餌となる小動物がすめる水田や湿地を整えることは、魚、カエル、昆虫、植物など、多様な生き物の生息環境を回復させることにもつながります。※4
日本では、完全な原生自然だけでなく、人間の営みとともに維持されてきた水田、湿地、里山なども重要な自然環境です。豊岡市の事例は、人の暮らしを含めた地域全体の自然を回復するリワイルディングとして位置づけることができます。※4
事例3 スコットランド:ハイランド・リワイルディング社の取り組み※5,6,7
スコットランドのハイランド地方では、長い歴史の中で、過去の土地利用、森林伐採、過放牧、シカの増加、泥炭地の劣化などが進みました。その結果、森林、湿地、草地、泥炭地のつながりが損なわれ、本来持っていた生物多様性や炭素を蓄える力が弱まっている地域があります。
ジェレミー・レゲット博士(2025年ブループラネット賞受賞)が創業したハイランド・リワイルディング社は、ハイランド地方において、大規模なリワイルディングを通じて自然の回復と地域社会の繁栄を実現しようとしています。対象地には、ネス湖西岸近くのバンロイトと、タイヴァリック半島があります。バンロイトには森林、泥炭地、草地があり、タイヴァリック半島には海岸、湿地、塩性湿地、古代の森、草原など、多様な生態系が広がっています。ハイランド・リワイルディング社はこれらの対象地において、温帯雨林の再生などさまざまな取り組みを行っています。
ハイランド・リワイルディング社の取り組みの特徴は、自然回復を科学的な調査や自然資本の評価と結びつけている点です。森林、泥炭地、草地、湿地などの状態を調べ、生物多様性や炭素貯留量などを測定しながら、自然回復の効果を把握しようとしています。また、自然回復を環境保全だけで終わらせず、地域の雇用や持続可能な経済活動にもつなげようとしており、自然の回復によって生まれる価値を、地域社会や経済の中で活かそうとしています。※5
ハイランド・リワイルディング社の取り組みは現在進行中であり、長期的な成果はこれから確認されていく段階ですが、リワイルディングによって生物多様性の回復、炭素の吸収・貯留、地域経済の活性化を同時にめざしている点が画期的といえるでしょう。
リワイルディングは、生物多様性の損失を止め、損なわれた自然を回復させるための有力な方法です。重要なのは、単に昔の自然をそのまま再現することではなく、自然が自ら回復し続けられる仕組みを取り戻すことです。ご紹介した3つの事例に共通しているのは、特定の生き物だけでなく、生き物同士の関係や、生態系全体の働きを回復させようとしている点です。
リワイルディングは、「自然を守る」だけでなく、「自然の力を取り戻す」ための取り組みです。自然が豊かになることは、野生生物だけでなく、人間社会の安全、豊かさ、持続可能性にもつながるのです。
※1 IPBES
https://files.ipbes.net/ipbes-web-prod-public-files/inline/files/ipbes_global_assessment_report_summary_for_policymakers.pdf
※2 IUCN
https://iucn.org/sites/default/files/2022-10/principles_of_rewilding_cem_rtg.pdf
※3 米国国立公園局(NPS)
https://www.nps.gov/articles/the-big-scientific-debate-trophic-cascades.htm
※4 豊岡市
https://toyooka-kounotori.com/
※5 ブループラネット賞ものがたり
https://www.blueplanetprize.org/projects/2025dr_leggett/sup_storyguide.html
※6 Highlands Rewilding
https://www.highlandsrewilding.co.uk/
※7 REWILDING BRITAIN
https://www.rewildingbritain.org.uk/why-rewild/rewilding-success-stories/meet-the-rewilders/highlands-rewilding
